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福祉制度はなぜ生まれた?

こんにちは!真友テラス桐生の上間です!


最近花粉と寒さのダブルパンチで外出が控えめになり。

自宅に引きこもる自粛生活を送っている私でございます笑


僕が日頃からよく聞いている コテンラジオ とゆうラジオで障害福祉に関して話されていたので

せっかくなので

要点を絞り、わかりやすく皆さんにご覧いただければと思います!


今回のテーマは、


福祉はなぜ生まれたのか??



以下参考資料となっております・


厚生労働省 社会保障の誕生 https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-01.pdf コテンラジオ https://coten.co.jp/services/cotenradio/

立命館大学 福祉国家の構造と政治体制

社会保障制度の変遷 厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000166513.pdf



第二次世界大戦がもたらした国家責任 福祉国家の誕生


福祉 と云う言葉は

wikipwdiaでは

「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉

こういった説明がなされています。


しかし福祉国家とゆう言葉は第二次大戦後に誕生したとされており

国家が福祉を行うとゆう価値観を持ち始めたのも戦後といってもいいでしょう。


実は反ナチズムの側で戦った国々がナチズムの

戦争国家(Warfare State)」に対抗する自らの呼称として作り出した言葉

とゆわれています。


福祉国家は英語で Welfare State となっており、語呂合わせとしても良かったのです。



戦争で負傷した兵士。仕事を失った労働者。こういった人たちを救う責任は誰にあるのか?

戦争をした国家には様々な福祉制度を設け国民を救い保護する義務がありそのために法律を制定する必要がでてきました。


日本でも

 昭21 生活保護法制定
 昭22 児童福祉法制定 
昭23 医療法、医師法制定 
昭24 身体障害者福祉法制定 昭25 制度審勧告(社会保障制度に関する勧告)

終戦が昭和20年なので戦後の5年のうちに様々な福祉制度が誕生しました。

かなりのスピード感ですね。


こうやって国が責任を持ち国民を助けるとゆう制度が生まれました。


おまけ

助け合う行為とゆうものは


仲間と思う人たちを救いたい


とゆう思いの上で成り立っていますが

(ホモサピエンスが群れでこうどうしていた名残)


戦前は、国民意識は低く

同じ国民であろうと別に仲間ではない =  私は助けなくていい

くらいの認識でした。



なのでたとえ困った人がいようと関係のない人とゆう

ラベル付けで 


国民全体の問題ではなかった 


しかし戦争が起きると、自国を国民同士で守る必要性が出てきます。

そして今まで他人だった人たちも国民とゆう区切りの中に入って

そうなると半ば強制的に仲間になります。



戦争は国民を全員仲間だとゆう国民意識が芽生えさせ、こんな声が上がるようになりました

・負傷者は戦った仲間だ!
・生活困窮者は戦争によってもたらされた共通の悪夢を見ている!
・障害者も日本人だから助ける!

こうやってスムーズに国が国民の意見のもと法律の制定ができたとゆう背景もあります。


産業革命が奪った人間関係 福祉制度の誕生


近代以前の封建制や絶対君主制の社会においては、多くの人々は農業などを営み、労働 も生産も自給自足の性格が強かった。また、人々は、生まれ育った土地を一生の生活基盤 とし、家族、親族などの血縁や近隣の人々との地縁をベースに支え合いながら生きてきた。

農業社会では親族や近隣の人たち同士で助けあいながら、生きてきました。


しかし産業革命以降の工業社会では、その助け合いが薄れていくようになりました。


農業社会では、晴耕雨読といった言葉があるように、ある程度は自分で労働時間を配分することができますので、しんどいときには休んだり働きたいときには働くといったコントロール可能な生活を送っていました。


なので

生活と労働は一緒だった

のです。


しかし産業革命以降の工業化した社会下では、労働時間を自分でコントロールすることができなくなります。


コントロールできる時間=生活

コントロールされる時間=労働



というように生活と労働は切り離されました。(専業主婦とゆう言葉もこの時期に生まれる)

すると


生活での人間関係(プライベート)

労働での人間関係(ビジネス)


といったように人間関係も区分されました。



工業社会では労働災害によって失業してしまうと、その外で支えあいができるシステムが有りませんでした。(農業社会では関係の母体である地域や親族が責任をもち支え合いをしていた。)




農業 : 血縁、地縁機能の代替 = 工業 : 社会福祉 社会保障 


そうして福祉制度 の基礎となるものが誕生しました。








おまけです。笑

福祉とゆうよりは社会保障的な話ではありますが、おまけ程度にお聞きください笑



王の権力のために 

産業革命準備期間の1601年(エリザベス王政時代)に救貧法が制定されました。


エリザベス救貧法は、貧民を有能貧民、無能貧民、児童に分類し、有能貧民にはワークハウス(労役場)で強制労働を課し、児童は徒弟に出し、無能貧民だけを救済対象にしました。各教区に貧民監督官を置き、住民に救貧税を課して徴収しました。

16世紀のイギリスでは、労働能力のある浮浪者物乞いで生計を立てる怠惰な人たちが数多く出現しました。その他にも孤児、老齢者、病人、無能力者も出現し


都市の衛生、治安維持のための策として制定されました


え、王様のためじゃないじゃん??

と思った方もいらっしゃるかもしれませんが


国力の低下は王の権力の低下です。


市民の意見を聞かず半ば強制的に行ったので国民の為の制度では有りませんでした。

この救貧法は結果として、住民の税金が財源だったのですが


税金いっぱいとられるなら仕事しないよ!!


といった人たちが大量に出現したみたいで大失敗してしたみたいです笑



神による魂の救済のために

キリスト教では、福音を理解しなければ信仰とは言えず、信仰の先に救済があります。


制度では有りませんが、福音書の中に

「神の憐れみの三つのたとえ」があります。


見失った羊のたとえ

このなかのあなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、
家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから

要約すると


「小さな者が一人でも滅びることはだめ!!」


ということです。この道徳観をもとに教会内で支援が行なわれていたそうです。



まとめ

福祉制度はいいかえれば障害者や、困窮者に対する支援制度とゆうものですが、

宗教は、異教徒は支援対象外だし。

王政では、王の役に立たないものは対象外ですが、

国民国家での福祉制度では、全国民と広い範囲での支援になるので比較すればいい制度だなと感心しました。




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